私の好きな漫画紹介第2弾は、いつもポケットにショパンです。
私の母が学生だった頃に連載していたので、結構前の作品だと思います。
でも、読んでください。絶対後悔しません。漫画で感動して涙するとはこういうことなんだ、と私に教えてくれました。
この作品との出会いが、私をクラシック音楽好きにしたと言っても過言ではありません。読んだのは小学生のとき。母親が文庫版をブックオフで見つけて、懐かしくて買ってきたのです。私はストーリーの素晴らしさにあっという間に引き込まれ、絵柄の古さが気になったのはほんの一瞬のことでした。
ピアノを習っていた当時、練習嫌いだった私が、読んだ後はピアノが弾きたくて弾きたくてたまらなくなって、独学でエリーゼのためにを練習したのを覚えています。
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最近、「半分、青い」というドラマがありましたが、そこで登場した同名の作品は、現実の『いつもポケットにショパン』の作者名だけ変更したものです。
表紙やタイトルからわかるように、この作品はピアノを題材にしています。
この作品の魅力は、いろいろあります。
楽器をやったことがある人ならだれでも演奏に打ち込みたくなる、印象的な演奏シーンを挙げる人もいるでしょう。主人公の麻子と、幼馴染の「きしんちゃん」との関係を挙げる人もいるでしょう。それらも本当にその通りだと思います(なので、後述します)。
でも私は、この作品、もしくはくらもちふさこ先生の作品に挙げる魅力は、
「モノローグとセリフ」に集約されていると思います。
~モノローグとセリフ~
人として、ピアニストとして、同級生に比べて幼さが残る高校生の麻子が成長していくきっかけ一つ一つの瞬間に必ず、読者の心を揺り動かすモノローグやセリフがあります。ここに一部を紹介します。
「なにがあっても、すべてあの時のときめきからはじまっていることを 忘れるものか」
大好きで、いつも一緒だったきしんちゃん。きしんちゃんのお母さんが、「まああ、麻子ちゃん、ほんとうにパパに似てきたわね」とふっくら笑って声をかける。きしんちゃんからもらったディズニーの腕時計がたてるカチコチという音。そして、一緒に弾こうねと約束したショパンのノクターン。好きな曲は、エンドレスにずっとずっと弾いていたかった。
ピアニストとして目を見張る成長を見せる麻子を作りあげているのは、彼女の中で息づく過去のキラキラした日々。
物語は彼女の子供時代からはじまります。成長した彼女のこのモノローグたった一言が、上記の彼女の思い出を一瞬で読者に想起させるのです。
この作品では、思わずじんとさせられ目頭が熱くなるセリフやモノローグが、ときにまるで詩のようにちりばめられ、印象的に読者の心に響きます。作者により巧妙に重ねられた一瞬一瞬のシーンが、それらの言葉の効力を最大限に高めています。
厳しくて大嫌いな先生。冷たくて敬遠してきたピアニストの母親。もういないと聞かされてきた父親。
彼女の周りの大人たちの想いや言葉に触れるたび、麻子は成長します。
例えば、麻子に厳しい言葉ばかり向けてきた松苗先生。レッスンをすればケンカばかり。でも、本当は誰よりも麻子に目をかけてくれていました。先生が麻子の高校を離れる日、彼女に残した言葉は、先生と麻子のそれまでの関係性があるからこそ、いつ読んでも涙ぐまずにいられません。
「私が君らに教えることは 絵画の世界で例えれば 単にパネルに紙をはる技法でしかない
そこから先はひとりで 君が自分で絵の具を選び 色をつけていくんだ
絵には作者自身があらわれる
見聞をひろめなさい
頭をやわらかくし いろいろな考え方のできる人間になりなさい
自分を磨けば磨くほど 美しい絵が描けるだろう
楽しみにしていよう」
本当は麻子のお母さん、お父さんの言葉も載せたいけれど、ネタバレしすぎるのも気が引けるので、抑えておきます。
~想いが伝わる演奏シーン~
麻子が演奏した曲で印象的なのは、ショパンのバラード1番と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。何も音色の描写はなく、あるのは麻子の表情だけ。なのに、彼女がどんなに素晴らしい演奏をしているのか、不思議と読者はわかってしまうのです。曲に対する音楽的分析がきっちりされているのがのだめカンタービレなら、いつもポケットにショパンは、演奏者の想いや熱が伝わる描写と言えると思います。
この作品を読むと、
ああ、こんな風に観客に響く演奏がしたい!
と読者は憧れずにいられないのです。
~幼馴染のきしんちゃんとの関係~
麻子がピアノを続ける大きな理由、それは幼馴染の「きしんちゃん」の存在。
そして、彼と一緒に弾くと約束したショパンのノクターンです。彼なくして、この物語は進みません。
麻子は昔からずっと変わらず、きしんちゃんのことが好きです。
対して、純粋に、何よりも何よりも麻子のことが好きで、大事にしてくれた小学生のころのきしんちゃん(本名は緒方季晋:おがたとしくに)は、高校生の彼の中にはいません。正確には、凍り付いて、眠ったままです。亡くなった母のため、ピアノのライバルとして、ときに麻子に冷たい言葉を投げかけます。
それは麻子にとって、ピアノをやめたくなるほどの絶望でした。
画像のように麻子と仲良さげに見える場面でも、彼の心情は自分が定めた生きるべき道(母のためにピアノで麻子を超える)と、本当はどう生きたいか(麻子への想い)の間で揺れ動いています。
少女漫画の主人公の麻子に対して、本来恋の相手であるきしんちゃんは、冷たい態度と言葉ばかり。照れによるものではなく、憎しみからくるもの。それはまごうことなき彼の本心です。それなのに、読んでいて同時にひしひしと痛いくらい伝わるのは、
彼が本当は麻子のことが好きで好きでたまらないということ。
あんなに冷たく見えるのに、どうして読みながら自分がそう感じることができるのか、初めて読んだ小学生のときは混乱しました。彼の中に複雑に渦巻く愛情は、幼い私に強烈に印象付けられました。なんて不器用で優しい人物だろうか。こんな少女漫画のヒーロー、きっともう出会えない。
音楽という大きな大きなテーマを背負った作品だからこそ、描けた愛情の形だったのかもしれません。
最終話の二人のその先が、見たくて見たくてたまりません。
興味を持ってくださった方はぜひ、ご一読ください。
http://betsuma.shueisha.co.jp/memories/series/author/kuramochi/itsumopoketnichopin.html